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プロのミュージシャンを目指し、
ようやく形になり始めた22歳の頃、

自分が起こした暴力事件が原因で逮捕され、
生き甲斐だった音楽を辞めなければいけなくなるということがありました。


相手にケガをさせたことで借金もでき、
落ちこぼれの社会からも落ちこぼれた上、
運悪く後遺障害の残る交通事故にも遭い、

1年間療養を余儀なくされ仕事にも行けず、
一文無しで人と話すのも怖くなり、
月一の買物以外一歩も家を出ず、

気づいたら誰とも会話をしない日を何日も過ごしました。


「お弁当温めますか?」に答えるのが怖くて、コンビニから逃げ帰った事もありました。


メジャーデビューが決まりちやほやしていた人達が、クモの子が散るように離れていきました。


高校も辞め、なくなったら死んでもいいというくらい人生を賭けて取り組んでいた音楽の道を諦めなくてはいけなくなったことで完全にドロップアウトし、
唯一の社会との接点だった音楽を失い、生きる価値を完全に見失いました。


ドンキ前に飾ってあった死神のマスクが
「いらっしゃいませ」
の看板を持っていたのが目に付いた。

駅のホームで
「あぁ、電車来る。今あとちょっと体重前にかけるだけで、もうこんな辛い思いせんで済むな」
みたいな事を考えながら毎日ただ時間が過ぎるのを待つような日々を過ごしていました。


でも、いつもと同じような事を考えながらフラフラ駅の高架下を歩いていたある時、

そんな毎日を変える出来事がありました。


ある早朝深夜のバイトを終えた帰り信号を待ってる間、
息をするのも立っているのも嫌になりしゃがみこんでしまいました。
足早に通勤する人達を横目に、

普段気付かないような人達の姿が見えました。


それは、
道で寝ているホームレスのおじさんだったり、

酔っ払って電柱の横で倒れている風俗嬢だったり、
虚ろな目でフラフラする毛がボサボサの野良犬だったりしました。


「あぁ、なんや。
俺と同じ様な奴って、結構おるんや。」


うまく生きられず、
世間のスピードについて行けなくて、

社会から弾き出されて、しゃがみこんだり、
力尽きちゃった人達って実は結構沢山いる。

それに気づけたのは自分が同じ状況に置かれたから。

勝手な仲間意識を抱いて、少し楽になった自分がいました。


何もなくなって、いつ死んでもいいと思いながら生きていた毎日だったのに、

それ以降、少しだけ外に出たり、散歩したりするようになりました。


ある時古本屋で手にした旅行記に影響され、

1年間昼夜アルバイトをかけもちしながら英語を勉強して、
貯めたお金で世界一周旅行をしました。


その時訪れたカンボジアになぜだか異様に惹かれ、

世界一周だったはずの旅は、カンボジアで終わりました。


カンボジア人の「オッパニハー(なんとかなるさ)」に何度も助けられました。


それに、カンボジアには割り箸みたいな棒1本で、

たった1人で地雷を5万個も撤去する凄い男がいて、
本当の意味で命を賭けて働く人達が沢山いました。


日本よりも生と死が近い位置にあるカンボジアで、

「生きる」だの「死んでもいい」だのを軽々しく口にしていた自分のことを少し恥ずかしく思いました。


学校なんて行ってないよって言うと「日本人なのに!?」と目を丸くして驚く子供もいました。

そう考えると、
「もしかしたら社会からドロップアウトした人間だからこそ伝えられることってあるんじゃないか?」
「まともな人には相手にされなくても、同じ様な人の助けにはなるんじゃないか?」

と少しだけ思うようになりました。


カンボジアで起業して、
今強く思っていることは、
ものづくりを通して、
社会から弾き出された人に希望を与えたい。


昼間からシンナー吸ってるチビに、

君には未来があるよってことを伝えたい。


環境が悪くても、失敗しても、逃げ続けても、
生きられる場所はあるぞ!ってことを伝えたい。


あいつみたいなバカでもできるんだから、
俺だって私だってできるはず。

そんな風に思って欲しい。


一度失敗した人間でも再挑戦していいんだ
ってことを知って欲しい。


そして、ぼくの夢は

「何か大きなことを諦めても、
再挑戦する人が増える社会を作ること」です。


夢の実現のため、
これからもブレずに信念を貫くことを大事にしていきます。